長篠城駅と長篠城址史跡保存館:戦国のロマンを求めた飯田線の旅

歴史

今回の旅は飯田線で長篠城駅周辺を尋ねてみました。飯田線といえば秘境駅で有名ですが敢えて始発の豊橋駅からほど近い長篠城駅付近の紹介となります。あたりは豊かな自然に囲まれ、歴史と現代が融合した風景を楽しむことができます。のどかな風景と裏腹に、戦国時代に長篠城駅周辺で活躍した武将たちの歴史が色濃く残る土地であり、その風景は歴史好きにとっては格別なものです。

長篠城駅周辺

長篠城駅へのアクセス

長篠城駅は、飯田線を利用し豊橋駅から一時間ほどで到着です。特急〔伊那路〕を利用するほどでもなく飯田線の車両に揺られながら普通電車でゆっくり行きましょう。地元の空気を感じられるのは、普通列車の旅独自のものですね。目的地に到着するまでの少しの時間が、私を非日常的な気持ちにさせます。

この地域の歴史は、単に戦いの記録に留まらず、戦国時代の生活や文化を今に伝える多くの遺産も残されています。戦国のロマンを感じられる場所として、歴史愛好家や観光客にとって魅力的なスポットとなっています。

この時代の史跡を訪れることは、当時の戦いや人々の生活を身近に感じられる貴重な体験となります。鉄道ファンの方が訪れても楽しめる場所で、各地に残る城跡や古戦場は、新たな戦国時代の歴史ファンを生み出すのではないでしょうか?

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長篠城址史跡保存館

長篠城駅近くに長篠城址跡保存館があります。入館券も一般大人220円とお手頃です。入ってみない手はありませんね。もちろん、日本戦史を彩る「長篠の攻防」に関する資料を保存・展示しています。

※ 画像は新城市HPより

広範囲に渡る長篠城設楽原の戦いを楽しむためレンタサイクルも用意されています。ありがたいサービスですね。保存館で利用の手続をしてみましょう。

長篠・設楽原の戦いは、織田・徳川連合軍が、戦国最強と謳われた武田の騎馬隊を、鉄砲による巧みな戦術で勝利を収めた合戦として有名です。
本市はまさにその長篠・設楽原の戦いの舞台となっており、新城市を特色づける歴史遺産が現在もなお地域に息づいています。
さて、そんな本市の歴史遺産に触れるために、そしてより楽しく・快適な旅にするために、
歴史めぐりの新たな手段として自転車の貸出サービス「長篠古戦場レンタサイクル」を実施しています!
広範囲に広がる遺跡を周遊するには自転車が最適ですので是非ご活用ください!

※ 新城市HPより

長篠城の歴史

長篠城の戦い

1508年菅沼元成が築城したされていますが、1575年「長篠城の戦い」の舞台となりました。歴史好きな方に改めて説明の必要はありませんね。

天正3年(1575年)5月、武田信玄のあとをついだ武田勝頼は西へ勢力を伸ばすために重要な拠点となる長篠城を1万5千の軍を率いて包囲し攻撃しました。長篠城の城主を巡り織田信長、徳川家康連合軍と戦った戦国史上でも有名な戦いです。

飯田線の線路は長篠城の郭の主郭とこの曲輪を画する土塁の上に敷設されています。
※ 画像はじゃらんnetより

鳥居駅

「長篠城の戦い」で歴史の表舞台に躍り出た足軽がいました。ご存知「鳥居強右衛門」です。

長篠城の攻防戦において、武田勝頼率いる武田軍の猛攻に落城寸前の長篠城のピンチを救うべく、岡崎城にいる織田信長・徳川家康に助けを求めて川を潜り、武田軍の包囲網を潜り抜けた。
たったの3日間で長篠城と岡崎城を往復した強右衛門は、「長篠城に援軍は来る」という情報を持って長篠城へと帰城を試みるが、武田軍に捕らえられてしまう。
決死の思いで援軍が来ることを叫び、城内で待つ仲間を鼓舞するが、それを最期に磔刑に処された。天正3年(1575年)享年36歳。
現在、新城市の北部に鳥居駅があります。駅周囲が「長篠城の戦」の際の逸話で知られる鳥居強右衛門最期の地であることから、彼にちなんで命名された駅となります。ただ、駅近辺には特に「長篠城の戦い」に関する史跡などはありません。

旅のまとめ

長篠城駅を巡る飯田線の旅は、戦国時代の歴史を肌で感じる貴重な体験を提供します。長篠城跡では、戦国武将たちの息吹を感じることができ、広がる美しい自然が歴史の重みを一層深めてくれます。旅のハイライトである設楽原は、当時の合戦の壮絶さを思い起こさせながらも、静謐な空間が心を落ち着かせてくれます。

この駅は地域の方のみならず、歴史好きな方にとって不可欠な存在となっています。駅自体が地域の歴史を象徴するものであり、古くからの建造物と合わせて、地元の文化や伝統を伝える重要な役割を担っています。

豊橋駅から飯田線でお手軽に尋ねられる長篠城駅です。帰りの電車の中では戦国のロマンが心に残る旅となりました。



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