かつて愛知県の新城を走り、今は静かな時を刻む旧田口鉄道の三河大草駅跡。本長篠駅からその歴史の足跡をたどると、時間を遡るような田口鉄道と三河大草駅ヘの想いに浸ることができます。この本記事では、山あいに今もひっそり佇む三河大草駅までのルートをわかりやすく解説しています。はじめて訪れる方、他県からみえる方の参考になれば幸いです。
田口鉄道最初の停車駅
本長篠駅のレール
飯田線の本長篠駅から三河田口駅までを結んでいた田口線は鉄道ファンの方に根強い人気があり、廃線となった、今でも廃線ルートや駅跡を訪れる方がみえます。
田口鉄道は現在の本長篠駅を起点に段戸山の御料林の運搬を主な目的として開業されました。当時の駅名は鳳来寺駅です(現在の鳳来寺駅ができてからは鳳来寺口駅に変更)
画像の奥が田口線のホームとなります。かつては、飯田線からの引き込みのレールも残されていましたが、現在は撤去されています。思い出が消えていくようでさみしいですね。
紅葉の季節には、飯田線から田口線に乗り入れる臨時列車も出ていたようです。廃線後は、補線用の列車などを旧田口線のホーム前で待機される留置線としての役割を果たしていたと思われます詳しい方コメントお願いいたします。
本長篠駅から三河大草駅までの距離は徒歩では少々永い道のりですが、天気の良い日にはゆっくり訪れてみたい気分になりますね。
三河大草駅跡まで
本長篠駅を出た田口線は飯田線と並走し、すぐに北に向かい最初の停車駅三河大草駅へと向かいます。本長篠駅から東方向ヘ進み、飯田線との分岐跡を確認しましょう。廃線跡が道路に転用されています。
そのまま、河津桜並木を過ぎて内金隧道をくぐります。
このまま廃線跡を通ると林にはいりますので愛宕神社を目印に県道長篠東栄線へおりましょう。
長篠東栄線を北上し間もなく大井川橋梁跡が現れます。このような高い位置を当時の電車は走っていたのですね。先ほどの林の中をそのまま進むと画像右側の橋梁の上の位置に出ます。
長篠東栄線を進んで、この場所を左折
再度左折します
左手に線路が敷かれていた高台が見えてきます。きれいに整備されていますね。
前方は鳳来寺駅方面、手前のトンネルを抜けると三河大草駅跡があります。トンネルとゆうより隧道(すいどう)です。下の画像は鳳来寺駅方面の冨保隧道でこのあたりが住所上、新城市富保となります。
冨保隧道反対側の大草隧道を抜けると三河大草駅があります。トンネル内の地面は少しぬかるんでいるので歩くのに注意が必要です。駅ホームがいい感じ?に苔むしていますね。まるで「ジブリの世界」と言ったら言い過ぎでしょうか?
三河大草駅の独自性
駅ができた経緯
それにしても、今でも市街地化が進んでいない山あいに敢えて駅を作ったのはなぜでしょうか?駅に続く道も山道といった方が適切です。私は当初この山道が駅に続く道と認識できずどこから駅に向かったのかしばらく考えていました。
想像するところ三河大草駅の開業が少し遅れたからかもしれません。田口鉄道により1929年に本長篠駅から三河海老駅間は開業していますが、三河大草駅の開業は翌年1930年となります。
本来は材木輸送の目的で山間部に線路を敷設したあと、廻りの集落の方の輸送を考慮し開業したため不自然に山の中の駅となってしまったのではないでしょうか?
ひっそり佇む
しかし、市街地化が進まないからかえって、他の駅跡と違い当時のホームを残しながら、このままひっそりといられるのでは。
他の田口線駅跡は市街地化されここに、駅があったと確認することしかできません。三河田口駅の駅舎さえも誰も手を加えることなく放置され、最後は自然崩壊し現在駅舎の面影はありません。設楽ダム建設に伴い駅跡地もなくなります。
比べて三河大草駅跡は、山あいのひっそりとした場所です。次の電車が来ることはありませんが、時折訪れる田口鉄道ファンに見守られながらずっと今の場所に佇んでいることでしょう。
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