豊橋駅から三河東郷駅:飯田線で訪ねる古戦場と設楽原歴史資料館

鉄道

三河東郷駅は愛知県の東三河にある小さな駅です。豊橋駅を出発する飯田線の車両は各駅停車の普通電車しか止まりません。しかしこの小さな駅舎は、戦国時代の大舞台「設楽原の戦い」ヘの入口となります。

今回の旅は秘境駅で有名な飯田線について、敢えて通勤区間ともいえる豊橋駅から三河東郷駅まで乗車し、戦国時代のの魅力を探ってみました。

豊橋駅から三河東郷駅

三河東郷駅

飯田線の起点は愛知県東三河地方の豊橋駅となります。豊橋駅を出発した列車はしばらく市街地を走行するため、通勤列車に乗っているのとさほど変わらない様子です。特急「伊那路」をのぞけば各駅停車の普通列車のみで運行され田園風景の中をゆっくり進みます。

設楽原の戦いがあった古戦場を訪れるには、三河東郷駅下車が便利です。飯田線の豊橋駅から、三河東郷駅までは13駅目で所要時間は40分ほどです。

0505 飯田線 普通電車 119系単行 - 写真置場

勝楽寺

駅の前に信長と家康が設楽原の戦いの後、祝杯をあげたとされるお寺、「勝楽寺」があります。山門も素晴らしいですね。

勝楽寺は大本山に永平寺を仰ぐ開創八百余年の曹洞宗の禅寺です。永平寺七十四世勅賜直指円性禅師は当山の先代住職です。
三世朝玄賀和尚は、徳川家康の遠州への進出を助け、長篠・設楽原の戦いの後には、死者の霊を弔う大施餓鬼を行い、松明を炊いて供養につとめたといいます。その松明は、「火おんどり」として現在も受け継がれています。勝楽寺という寺号は、古くは「松楽寺」という表記でしたが、1575年(天正3年)5月21日に武田家を打ち破った織田信長・豊臣秀吉と徳川家康が当山に立ち寄り、戦勝の祝杯を上げ、「松」の一字を「勝」に改めたと言われています。
また、当山は川路城主・設楽家の菩提寺でもあります。 ※ 勝楽寺HPより

設楽原ヘ向かう

馬防策

設楽原の古戦場跡方面に向かってみます。ほどなく現れる 首洗い池 の横を通過します。設楽原の戦いでは相手方の首や武具を洗ったことで始終池は赤く染まっていたといわる池です。

長篠城の戦いで有名な 馬防柵 に向かってみましょう。織田信長の鉄砲隊が火縄銃の3段撃ちに使用した柵です。

馬防柵

※ 画像は新城市HPより

武田勝頼率いる騎馬軍団を柵近くまで引き寄せ、織田軍得意の火縄銃の三段撃ちで破った設楽原の戦いは歴史ファンでなくとも興味がそそられます。当時の状況を想像しやすく忠実に再現されています。

設楽原歴史資料館

もう少し歩くと、設楽原歴史資料館がみえてきます。歴史に興味のある方は是非とも寄ってみたいですね。観覧料は220円となります

館内では設楽原の戦いで使用された火縄銃などが保存されています。他にも新城ゆかりの岩瀬忠震、合戦の戦没者を弔う「火おんどり」などの資料があります。

※ 画像はじゃらんnetより

戦国の戦いを味わったら再び三河東郷駅に向かうのですが、電車の本数が少ないのであらかじめ時刻はチェックしておきましょう。

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旅のまとめ

飯田線での旅は、歴史と現代が交差する特別な時間です。豊橋駅を出発し、三河東郷駅に向かうこの路線では、美しい自然の景色が車窓から広がり、心が落ち着くひとときを過ごせます。また、道中には戦国時代の激戦地である古戦場が点在し、訪れる人々に日本の歴史の一端を感じさせてくれます。

設楽原歴史資料館では、合戦の背景や詳細を学べ、歴史への理解が一層深まるでしょう。歴史を身近に感じながらの旅は、特に歴史愛好者にとって貴重な体験となること間違いありません。現代の便利さと過去の物語が溶け合うこの旅は、日常の喧騒から解き放たれてリフレッシュする絶好の機会です。飯田線に乗って、時間を超えた冒険に出かける、そんな魅力がこのルートには詰まっています。

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