北濃駅から未成線区間となった石徹白地区に思いをはせる

鉄道

長良川鉄道の北濃駅は、長い鉄道の歴史とともに歩んできました。さらに、この駅からは未成線区間としてとり残された、石徹白地区への延長計画の遺構が伺えます。

鉄道ファンや歴史愛好家にとって、この未成線区間には特別な魅力があります。努力と希望、そして時代の流れに埋もれた物語が、線路の向こうに眠っているからです。石徹白地区へと続くはずだったこの道筋をたどることで、往時の計画がどのようなものであったのか、なぜ実現しなかったのか、その理由を探ることができます。    ※ アイキャッチ画像はTABITABI郡上より

未成線区間ができた背景

南北両方向より敷設

岐阜県の美濃と越前の福井を結ぶ予定の越美線は、南北両方向から工事が進められました。しかし、計画は頓挫し、美濃太田駅から北濃駅までは越美南線、越前花堂駅から九頭竜湖駅までは越美北線として運行されていました。

標高960メートルの檜峠を超える敷設は難しく、越美南線は長良川鉄道に移管、越美北線は JR西日本 に継承され現在に至っています。財成的な問題も大きく、鉄道ファンの方には象徴的な路線として多くの鉄道ファンを魅了します。

集落などの地理的条件

未成線区間の当初の経路は、今回取り上げる石徹白経由が想定されていました。現在でも北濃駅より石徹白駅間は本数が少ないながらバス運行がされています。

一方で、北濃と石徹白を経由せず、美濃白鳥駅から北上し、九頭竜湖に向かうルートは距離的にも近く、敷設もしやすかったはずです。

敢えて、遠回りとなる路線の施工には費用の問題があり、片峠となる油坂を超えるのはスウィッチバックなど特殊な路線の工程を要します。

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未成線区間を横断する

分水嶺を超える

石徹白地区で既に分水嶺は超え石徹白川の水系は日本海に注ぎます。かつて石徹白が岐阜県に越県合併した経緯があるものの、地理的には福井県側と考えるのが自然です。

未成線区間を超えるには、北濃駅から白鳥交通のバスを利用しても石徹白が最終となり、その先は徒歩とならざるをえません。2時間ほど歩いた後、やっと福井県側のバス停家族旅行村に到着です。また、バスの本数は少なく難易度の高いルートとなります。

石徹白集落ヘの思い

それでも、未成線区間を超えられる方の思いは、鉄道会社が断念した区間を走破したとの達成感と共に、山あいに自然のまま残る石徹白集落が気になるのではないでしょうか?

実際に、石徹白集落に移住し子育て、農業体験をする若者が増えています。歴史的にも独自の文化圏が残る地域です。

石徹白は平安時代から鎌倉時代にかけての白山信仰が盛んな時代には「上り千人、下り千人、宿に千人」と言われるほど修験者の出入りで栄えた土地であり、近世(明治)まで神に仕える人が住む村としてどの藩にも属さず、年貢免除・名字帯刀が許されたところです。ゆえに「中世的支配体制」が明治になるまで維持され独特の文化が形成されました。

最奥の「上在所集落」は夏は修験者や白山参詣の道案内と宿坊を営み、冬は「御師」として各地に信仰を広め御札を配ることを生業とする人々の住むところでした。                 ※石徹白公式HPより

かつては福井県大野郡に石徹白村として存在しており、歴史的な背景とともに魅力的な集落が形成されました。

石徹白の地域と特産品紹介@11月17日岐阜駅アクティブG - 郡上市地域おこし協力隊

釣りの好きな方は石徹白川の大自然の中で渓流釣りを楽しみましょう。

※ 画像は釣り人オンラインより

まとめ

北濃駅から未成線区間となり、長い年月を経てなお心に残る石徹白地区の記憶は、地域に根付く歴史と人々の努力の証です。この地域は、鉄道建設に向けた多くの試行錯誤が繰り返された場であり、その努力は地元の生活や文化にも影響を与えました。

※ 画像は産経ニュースより

当時の計画が実現しなかったにもかかわらず、これらの努力は地域の発展を支えました。石徹白地区の風景と共に、その歴史を振り返ることで、私たちは過去と未来をつなぐ重要な教訓を得ることができます。鉄道というテーマを通じて、この地に関わる人々の思いと、未成線という独特の状況が地域に与える意義について、改めて考える機会となりました。

長良川鉄道の最終駅「北濃」と、その先に広がる未成線区間「石徹白」の魅力に焦点を当てた今回の記事を通じて、多くの読者にこの地域の持つ独特の風情と可能性を感じていただけたでしょうか。また、未成線区間である石徹白への思いは、現代の日常から一歩踏み出して冒険を求める心をくすぐります。

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