中津川駅から倉屋温泉へ:北恵那鉄道と付知峡付近の魅力

観光地

中津川駅から付知峡口駅までは、かつて北恵那鉄道が通っていた、静寂と緑に囲まれたの地域です。この場所には、今はなき北恵那鉄道の足跡が残っています。列車が走り、多くの人々の生活や心をつないでいたその線路跡は、今や豊かな自然とともに時を刻んでいます。今回の旅は、中津川駅から北恵那鉄道の足跡をたどり、「恵那電」と呼ばれ地元の方に愛されていた頃の時代の足跡探しに付知峡口までを尋ねてみました。

中津川駅からのルート

アクセスルートと歴史

中津川駅周辺は、その豊かな自然環境と地域に根差した文化で訪れる人々を魅了します。特に、今回紹介する付知峡付近までは自然と歴史が融合した不思議な風景を提供し、訪れる人々に特別な体験をもたらします。付知峡の入口にある倉屋温泉は日帰り入浴施設として知られ、疲れた身体を癒やす絶好の場所として親しまれています。

画像はじゃらんnetより 

中津川駅からアクセスするには、公共交通機関を活用するのが便利です。駅からバスに乗り換えることで、付知峡へのルートが用意されています。今回紹介する、北恵那鉄道は1924年開業され付知川沿いに下付知駅まで22、6キロを結んでいました。

自然に恵まれたこの地では、木材輸送のための路線としても活躍してきました。さらに付知川上流一帯となる下付知駅から加子母まで付知森林鉄道が開業されていました。この地域の伐採される檜の貴重性がうかがえます。

しかし経営難から、1959年に付知森林鉄道は廃止、さらに1978年北恵那鉄道自体も廃線に追い込まれています。

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北恵那鉄道廃線跡

北恵那鉄道が走っていたころの起点は中津町駅でした。現在は中津川駅のそばに駅の跡地があるのみです。中津町駅から下付知駅までを結び、通称「恵那電」と呼ばれ地域の方、旅行者に愛された鉄道です。また、「日本一遅い電車」と言われたりしましたがのどかな雰囲気を醸し出すには充分です。中津川町駅跡地には現在工場があり物資の輸送にも役立っていたのではないでしょうか?

北恵那鉄道は、廃線となった今でも路線沿いには、橋梁などの遺構が残っています。代表的なものは木曽川橋梁です。中津町駅と恵那峡口駅間にある鉄道鉄橋で現在は使用されていません。ただ鉄橋を渡る北恵那鉄道の列車の素朴な光景が目に浮かびます。

現在、北恵那交通の付知峡線のバスで付知峡口まで行くことができますが、北恵那鉄道のルートとは少しずれています。廃線となった駅跡地を訪れる人は多く、ローカル線のファンの方にも魅力的な場所です。

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下付知町駅付近

倉屋温泉おんぱいの湯

北恵那鉄道の終点は、下付知駅となります。いまでは駅跡地で「付知峡倉屋温泉おんぱいの湯」が営業されています。日帰り入浴施設ですので、中津川駅よりバス、車で訪れる人でにぎわっています。

※ 画像は中津川観光協会より

付知を含む、この裏木曽地域は長野県の木曽地方と並んで江戸時代から、木曽五木といわれる「ヒノキ・サワラ・ネズコ・アスヒ・コウヤマキ」等の建築材を中心とした良質の材木を産出しています。
大正13年(1924年)電力王といわれた福沢桃介が、大井ダムを建設した事により川輸送することができなくなるまでの間、付知川と木曽川を経由して八百津の錦織まで川を狩りながら材木を流していました。八百津からは材木を筏(いかだ)に組んで、名古屋の熱田や三重の桑名まで運んでいます。
台風が発生しない寒い冬の河原での作業は大変な作業でしたが、「おんぽいェー おんぽいェー」 とかけ声をかけながら日傭(作業者)の皆さんは、トビ(竿の先に鉄の尖った切っ掛けが付いた道具)を使い、下流へ下流へと流していきました。
作業者の掛け声が「おんぽい」であります。 ※ おんぱいの湯 HPより

付知ばあちゃんち

付知峡付近は豊かな自然を満喫できる素敵な場所です。私のおすすめは築150年の古民家をリノベーションしたゲストハウス「付知ばあちゃんち」です。手作りの布団で田舎暮しを体験しましょう。

※ 画像はばあちゃんちHPより

カフェとしても営業されており、付知の郷土料理「いももち」や「コキショ汁」、ジビエ鹿肉カレーや田舎そばなどご家族で召し上がっていただける料理やデザートを楽しめます。

まとめ

中津川駅から北恵那鉄道廃線跡を尋ねることで日常から離れた落ち着いた時間を楽しむことができます。付知峡口には倉屋温泉、さらに付知峡に向かえば豊かな自然に囲まれた中で日々の喧騒を忘れさせてくれる体験が可能です。ぜひ一度、自ら足を運んでその魅力を体感してみてください。

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