三河広瀬駅と西中金駅:名鉄三河線の廃線跡から足助を思う旅

鉄道

名鉄三河線の山線の先にひっそりと時を刻む、三河広瀬駅と西中金駅。
かつて多くの人々を運び、地域の発展を支えた鉄路が今は自然に姿を変えつつあります。
この静かなる変遷には、どのような経緯があったのでしょうか?そして足助への未成線区間を共に考えてみましょう。

名古屋鉄道三河線

三河線の山線

愛知県の西三河地方に名鉄名古屋本線の知立駅があります。名鉄名古屋本線の中心的な駅であるとともに、名鉄三河線の起点となる駅でもあります。

名鉄三河線は豊田市の猿投駅から碧南駅間を結ぶ路線ですが、かつて知立駅から北の山線は猿投駅を経由し西中金駅までを結んでいました。2004年には猿投駅以北は廃線となっています。

廃線までの経緯

廃線に至る経緯のなか、鉄道会社の試行錯誤の跡が見受けられます。猿投駅より先は、1985年に電気運転の廃止によりLE-Carタイプのレールバスに切り替わりました。依然、地元の方の通勤、通学の足として活躍したのはゆうまでもありません。同時に、山あいをのどかなに走るレールバスは人々の心を落ち着かせたことでしょう。

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LE-Carは、かつて富士重工業が製造した軽快気動車群の愛称。
1980年代から1990年代かけて、日本国有鉄道の特定地方交通線を転換する等して相次ぎ開業した第三セクター鉄道や、輸送量の極端に少ない閑散区間を抱える鉄道会社等において多く採用された。中には名古屋鉄道や近江鉄道のように、既設の電化区間をこれに置き換えた例もある ※ Wikipediaより

廃線となった理由は利用者の減少とおもわれます。道路が整備され交通量の少ないこの地域ではマイカーでの移動が有利となるのは自然のことです。廃線区間は猿投駅~三河御船駅~下枝駅~三河広瀬駅~西中金駅の8キロ程です。

旧駅舎を再利用

三河広瀬駅

三河広瀬駅は名鉄に合併される以前三河鉄道時代の、1927年開業しています。駅舎とホームなどが大切に保管され、鉄道ファンだけでなく人気のスポットです。

三河広瀬駅のホームは旅客用としては不自然に長く、貨物が乗り入れ物資の輸送駅としての役割も大きかったようです。陶器などが運ばれていたとのことですがホームを継ぎ足したような跡が見受けられます。このあたりで荷物の積み込みなどしていたのでしょうか?

駅舎内では簡単な飲食ができ、五平餅が人気のメニューです。

駅舎が残っている三河広瀬駅は西中金駅同様、駅舎とホームが国の登録有形文化財に指定されています。また、三河広瀬駅の豊田市中心から足助方面などを結ぶ中継点としての意味合いは大きく駅前は「とよたおいでんバス」のバスターミナルになっっています。

三河広瀬駅前の広瀬屋はこの辺りでは数少ない旅館で、かつては売店も併設していました。ここを起点に飯田等信州方面に向かう人がみえたのかもしれません。昔ながらの宿泊施設があるのは何故かうれしいですね。

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西中金駅

西中金駅は名鉄三河線山線の最終駅となります。西中金駅の旧駅舎の待合室を豊田市が改装し、住民組織「西中金駅愛護会」が運営する喫茶店「西中金ふれあいステーション」が、2015年に営業開始されました。豊田市と地域の住民の方に感謝したいですね。

2004年に廃駅となりましたが、旧駅舎で土日のみ喫茶として駅を開放しています。コーヒー・五平餅ともに200円でワッフルは100円で提供されているようです。人の語らいの場所として昔ながらの茶店を思い出すようで心が安らぎます。三河広瀬駅ともども地元の方々の熱意を感じます。

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西中金駅の先が未成線のまま終わった理由は用地買収の問題、太平洋戦争の勃発、マイカーの普及など様々です。距離にして足助まであと五キロほどの場所に、未成線となった痕跡が今も残っています。

「西中金ふれあいステーション」の方に聞いたところによると、名鉄三河線の海線にある橋の付け替え費用が膨大であることが直接の理由でした。※海線は 中畑駅と三河旭駅間で矢作側をわたります。

路線施工当初は西中金から足助へ向けて路線を伸ばす予定がありました。開通していたら紅葉のシーズンの足助への足として活躍したことでしょう。いずれにしろ、西中金駅が終点とゆうのは地理的にも不自然です。

まとめ

三河広瀬駅と西中金駅の駅舎を巡り、時代の移り変わりと地域の文化に触れる旅はいかがだったでしょうか。この旅路では、かつて鉄路が繋いでいた町や集落の姿が浮かび上がり、鉄道が地域社会に果たしていた役割を感じ取ることができました。

沿線の風景には、四季折々の自然美が映し出され、特に秋の紅葉や春の桜は訪れる人々を魅了します。また、歴史探訪だけでなく、地元の特産品や伝統工芸にも触れることで、地域文化の豊かさを味わえるのも魅力です。

西中金駅より足助への思いは、一層充実した旅の思い出となることでしょう。廃線跡が静かに物語る歴史は、新たな一面を見つける旅となります。

また、駅舎跡が大切な憩いの場となっており、コミュニティのつながりを深めるきっかけにもなっています。訪れる人々はこの地域の過去を振り返るとともに、この先の未成線区間が実現していたらどのような未来が待っていたことでしょうか?名古屋鉄道山線の歴史を再発見し、新しい想いに胸躍らされます。

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